vol.1

A blendsディレクター三宅敬とも親交が深いスタイリスト橋本敦氏を招いて、今、気になることを全4回のインタビュー。
アナログからデジタルへの変革はスタイリストの仕事をガラッと変え、その激動の時代を生き抜いてきた人生経験はなかなか他では知り得ないところ。
事前に質問を準備していたものの途中何度も脱線し、その魅力的な人生経験からくる貴重な体験談や人生観などを聞くことができました。
もちろん、現代のファッションや50代のオジサマがマネできるであろうコーディネート術など、お手本が盛りだくさん!ファッション好きなあなたには所々に懐かしいワードも出てきますよ。
今後、連載が決定!?表現力豊かな橋本さんのコメントは必見です!ぜひご覧ください。

A blendsとは…?

「国・人・文化・トレンド・カラー・素材・アイテムを、 フィーリングやタイミングで程よくBLENDした集合体の(A=AND)融和」をコンセプトとし、40代から50代のかっこいいおじさん──「イケおじ」のリアルを、三宅敬が考える「今着たいモノ」「これから着たいモノ」「この先ずっと着たいモノ」をメインアイテムに提案するファッションブランド。

三宅 敬(みやけ たかし)

1967年2月生まれ神奈川県川崎市出身。20歳でモデルデビュー。その後、約3年間アメリカ ニューヨークに留学し、アメリカ西海岸で古着の買い付けなどを経験。 33歳からは約10年にわたりインテリアショップ『モダニカ』にてマネージャーとして務め、 ミッドセンチュリー家具の造詣を深めた。 現在は事務所兼ショップ『58』にて、読谷山焼「北窯」の製品を販売。そのほかに自身のリメイクブランド「サードハンズ」をデザイン。2019年1月18日より、自身がクリエイティブディレクターとして立ち上げるブランド『A blends』を、満を持して展開する。

橋本 敦(はしもと あつし)

1977年1月生まれ東京都出身。三田真一氏に師事。
1999年に独立後スタイリストとして活動をはじめる。ファッション誌・広告・ミュージシャン、俳優のスタイリングや衣装製作など多岐にわたるジャンルで活躍中。アパレルのブランディングアドバイザーやコンサルティングも手掛ける。オフは趣味のロングボードやゴルフ、スポーツ観戦など。

Vol.1 スタイリスト・橋本敦ができるまでと

40代に入ってから感じる自分の変化

三宅:早速なんだけど、”スタイリスト橋本敦”をやってもう何年になるんだっけ??

橋本:99年からだから今年の9月で20年経ちます。こないだ別の媒体でもその話をベースに取り上げてもらいました。スタイリストになる経緯を詳しく話した事はおそらく今までしたことがないと思います。媒体でちゃんと話すのは今回が初めてです。

三宅:嬉しいね~!色々聞き出せそうでわくわくするね~!
スタイリストになりたい、って思ったきっかけって何だったの?

橋本:今みたいにネットが普及してなくて、メディアといえばテレビか雑誌だった時代に、浅草橋ヤング洋品店(※1)を見てスタイリストって仕事があるのをそこではじめて知ったんです。当時は高校生でした。漠然と、面白そうな仕事だなと思ったんですが、なる方法もわからなければなれるとも思ってなかった。

※1 1992年4月から1996年3月までテレビ東京系列で放送されていたテレビ番組。当初はファッション情報番組としてスタートした

三宅:今みたいにググれば何でもわかる時代じゃないじゃない、当時って。そんなときにスタイリストになれる方法なんてどうやって見つけたの?

橋本:方法を見つけたって訳ではなくて、たまたま大学受験の予備校で三田さんと出会ったことが全てのはじまりだったんです。当時部活でテニスをしていて、そこそこレベルの高い学校で自分なりに本気で取り組んでたんですが、高校2年のときに肘の複雑骨折と靭帯を切っちゃう大怪我をしてテニスをやめざるを得なくなったんです。その先の進学については、部活で挙げる予定だったそれなりの結果と小論文で進学できる大学に行こう、くらいのお気楽な考えを持っていたので全くのノープランになっちゃったんですよ。そうなるとやっぱり勉強しなきゃってなりますよね(笑)、それで渋谷や原宿に近い予備校を選び通うようになって他校の友達と遊ぶようになったんです。そこで、その後運命となる出会いをすることに。ひとつ学年が上の三田さん(※2)との出会いです。最初の印象は、とにかくスゲーおしゃれな人だなー、って思ったのを覚えてます。自分の周りにはスケーターやバンド、ダンスをやってるような仲間が多かったので、初めてモードなものに触れた気がしてすごく衝撃的を受けました。確か白シャツに黒のワイドパンツ、モノトーンなコーディネイトにポンプフューリー合わせていて。えーーー、何それ!?って(笑)

※2 橋本敦さんのスタイリストの師匠、三田真一氏

三宅:へーーー、そうだったんだ!それがいつ頃?

橋本:正確には覚えてないのですが、確か94年終わりくらいでした。エアマックス95がリリースされる前後くらいだったかなぁ。当時ハイテクスニーカー(ナイキ エアマックス95やリーボックのポンプフューリー)を合わせたモードなスタイリングが流行り始めた頃に完全にファッションにハマっていきました。寝ても覚めても服のことばかり考えてましたね。三田さんと出会ったことで、コムデギャルソンにはまり、ヨウジヤマモト、その他にはアントワープ6と呼ばれてたドリスヴァンノッテンやダークビッケンバーグ、マルタンマルジェラなどにもこの頃から急に興味を持ち始めました。勿論そんなお金はないので買えなくて。バイトをしては使い切るの繰り返しをしてましたね(笑)。

三宅:そう、わかるわー、その時代!コムデギャルソンがやっぱり早いんだよね。トレンドの先を行っていたのを覚えてる。DCブランド全盛のときもコムデギャルソンがトップだったから。飛びぬけたファッションブランドだったよね。飛びぬけてカッコよかったけど、値段も飛びぬけていた(笑)なかなか買えなかったなー。

橋本:当時、買うお金なくても学校やバイト帰りに仲間と顔見知りになったお店を徘徊していましたね、浮遊霊のように(笑)。

三宅:なるほど。おっと、話が脱線しちゃったね(笑)

橋本:そうだ、スタイリストになるきっかけでしたね(笑)
当時、某編集部に、カメラマンアシスタントや、スタイリストアシスタント・手伝い募集などをしますなどと書かれた掲示板があって、なりたい人はそこに自分から編集部に問い合わせて張り紙をしに行くんです、自分の電話番号を書いて。電話をこちらからかけるケースもありましたが、基本、張り紙貼ってあとは電話にかかってくるのを待つだけ。今考えると携帯もなくて、自宅の電話にかかって来るってすごい話ですよね。(※3)

※3 スタイリストは当時はほとんどが師弟制度を取っていた。まずはアシスタントを経験しないとスタイリストになることはほぼ不可能だった

三宅:へーーーーー!今ではなかなか考えられない手法だけど、当時はそんな感じだったかもね!

橋本:はい(笑)アシスタントが欲しいスタイリストさんがその張り紙の電話番号に電話をかけるんですね。当時は固定電話しかなかったから家にかかってくるわけですよ。他には、就きたいスタイリストさんがよく紹介している店に毎日張ってリースに来るの待ち続けたって話も聞いたことがあります。
自分の話に戻しますね。すでに三田さんに惹かれていたので三田さんを追いかけるようになっていました。大学に行かず、服の専門学校に行こうって頭がシフトしていて、親を説得して結果モード学園に行くことになるんです。親には申し訳なかったですけど…。
専門学校に通うようになってからは古着屋サンタモニカの吉祥寺店があるんですけど、そこでバイトをし始めました。(余談ですがサンタモニカのバイト募集で選んでくれたのは今、映画をはじめ様々なシーンで活躍されている役者で俳優の大森南朋さんです)。三田さんに師事する前に知人の紹介で別の方の手伝いもしましたが、しばらくして幸運なことにアシスタントになることができ、アシスタント生活が始まり99年に独立したって感じですね。三田さんがその後ロンドンに勉強に行くのでアシスタント生活は1年半という短い間だったんですけどね。その時三田さんからは、やれる?て言われて。やるしかなかったんですけどね(笑)。ここがボクのスタイリスト人生のスタートです。

三宅:なるほどね。じゃあキャリア20年だ。

橋本:そうですね。気づいたらアシスタントを含めると22年弱。もう自分が生きている半分以上はスタイリストをやっていることになりますね。今みたいに情報が無いし、何もわかってなかったから、日々吸収するのが楽しかったですね。あまりに何も知らなさ過ぎて馬鹿にされたことも多々ありましたけど(笑)

三宅:当時はスタイリストって職業が何なのかよくわかってなかったもん。

橋本:ボクも実際何をするのか分かってませんでした。スタイリストになりたくてなったというよりは、自分が憧れた人がスタイリストだったからスタイリストになっていった、そんな感じです。スタイリストって職業は、なれるって保障もないし、資格っていうわけじゃないし、すごい独特ですよね。

三宅:自分の時代はトラッドのVANの時代が終わってDCブランドが台頭してきたっていう、ファッションの変化の時代だったんただよね。橋本くんはその後の時代だよね。

橋本:三宅さんもトラッドブームの時期を経験されてるんですね、僕の親はトラッド全盛だったのか「スーパー」がついてもおかしくないくらいトラッド好きな両親の元育てられました(笑)。
はい、変化の時代だったと思います。ファッションシーンに「ストリート」っていうジャンルが日本に根付くというか盛り上がりはじめるタイミングでした。雑誌smartがでてきたタイミングでした。ボクがアシスタントとしてはじめて関わらせてもらった雑誌でもあります。それから間もなくブームとなり隔週発行になっていくんですよね。ファッション誌で隔週、紙媒体で考えるとすごいですよね、、、日々ただ忙しく、目の前のことをクリアしていくことに追われていたように思います。
例えばブツ撮りの撮影はアシスタントが行うことが多かったのですが、今はカメラマンがアイロンかけた後は置いてニュアンスつけて撮ってくれるけど、当時は撮る以外のことはすべてスタイリストの仕事。カメラもフィルムですしね。カメラマンも大変だったと思います。その場で確認ができるわけじゃないわけですからね。ブツ撮りでTシャツ1000枚とかあるんです。リアル1000本ノック(笑)もちろん24時間で終わるわけもなく延々と帰れない(笑)。僕みたいな右も左も何にもわからなかったやつが厳しく、教えてもらえてきたからこそ、こういう経験が出来た。がむしゃらに頑張るだけで自然と勉強ができた環境は今思うとラッキーだったなと思ってます。

三宅:アナログにはアナログのよさがあったよね。スーツのモデルの仕事があったときには50着とかあったね。1日がかりでやってたよ。フィルムは交換するし、ポラロイドは確認するし、時間がものすごくかかる。けど、勉強になったことはたくさんあった。その時間の中で色んな人と接することができたのが今ではとてつもなく大きな財産になってるね。

橋本:時代は変化しましたよね。インターネットって革新的でした。PCで自分で気軽にデザインができるようになったりとか。次は自分で発信するSNSが登場しますよね。ブログに始まり、FBがあり、容易にグローバルにコミュニケーションが取れ発信出来るようになった。この会話さえもライブで世界で流せてしまう。この時代の速度感って、当時のアナログな作業を見てきただけに、最初は戸惑いがなかったわけじゃないけど、そこに対する順応性は意外とありあましたね。自然と馴染んでいたから抵抗もあまりなかったように思う。

三宅:オレの頃から比較するとスピードがありすぎちゃって、逆を言うとちゃんと見てないと乗り遅れる感じもあった。今は撮影しながら編集できるわけよ。ここに誌面できてんじゃん!っていうスピード感で進行する。こんな時代かーって。雑誌は2ヶ月前から制作がスタートしてたもん。今は1ヶ月くらいだしね。

橋本:そうですよねー。以前と比べると情報の鮮度を保つことも含めて今はタイトな進行になってますよね、
メンズ・レディース共にファッション誌もいろんな媒体がありますが、当時の紙媒体の影響力はどのジャンルもすごかった。例えばsmartは当時隔週発売だったわけですよ。隔週でファッション誌、情報誌が作られては売れていく時代って、ものすごい勢いだった。

撮影協力
BRICK&MORTAR 中目黒店

旬のアイデアを、新鮮なまま伝える場所。
BRICK & MORTAR 中目黒店は、新鮮なものを、自由に、そして柔軟に伝えていく場所。
旬の食材だけを届ける八百屋や、特集によって内容が変わるメディアのように、
今作りたいものを作り、すぐに届けるインディペンデント・ショップです。
ときには本屋になったり、アトリエやギャラリーにもなる。
訪れるたびに変わっていくBRICK & MORTARをお楽しみください。

 

OPEN
12:00~20:00
不定期オープン/イベント内容により異なります。
※詳しくは、NEWSをご確認ください

ADRESS
153-0061
東京都目黒区中目黒1-4-4

TEL/FAX
03 6303 3300

E-MAIL
info@brickandmortar.jp